Essay エッセイ
彼らは学ぶだろうか?
私は去る4月、オリンピックについて書くつもりでいました。オリンピックの思想が生まれた土地にそれが帰ってくることは、ギリシャ人すべてにとってとても重要なことでした。 だから、国を挙げての努力に自分もなにか貢献を加えようと試みるのは、私にとって当然のことだったのです。
ところが年の初めから、多くの国々のメディアによって、オリンピックへの準備の進み方についての批判や、建設作業が終わらないのではというおそれがさんざん言われ、書かれました。 もしアテネが締め切りに間に合わないようならシドニーが代理として控えているべきではないかとさえ言われました。

開催の2ヶ月ばかり前になって、結局すべての作業が予定通りに完了することが明らかになったとき、 「あら探し屋」たちは過ちを認めて謝罪する、あるいは少なくともその口を閉ざす代わりに、調子を変えました。今度は工事ではなく、セキュリティの点に焦点があてられたのです。 「ジャーナリスト」たちは競って、立ち入り制限された工事現場に入り込むようになりました。 言うなれば、「完全なセキュリティ対策が発効する以前」に、セキュリティ対策が功を奏していないことを「証明」しようとしたのです。
私はここでは、世界が今は何を知っているかについてこれ以上言い続けるつもりはありませんし、世界中の賞賛を惹き付けたオリンピックの成功について言及もしません。 ギリシャの人々と、ボランティアの国際軍は、一言もしゃべることなく、最も声高な答えを与えたのです。
私は去る4月の時点では書きませんでした。私は知っていたからです、世界中のどこにいようともギリシャ人なら知っているであろうように。 オリンピックが失敗するなどということは決してありえないことを知っていたのです。 国家にとってのオリンピックの重要性は、私たちの誰にとってよりも大きいことを知っていたのです。 1896年の最初の近代オリンピックに際して、ギリシャの偉大なる後援者のひとりであるジョージ・アベロフ氏が、 オリンピックスタジアムの建設に融資して欲しいという依頼にイエスと答えたと同じように、今回は、あらゆるギリシャ人の口からイエスという言葉が発されるだろうことを知っていたのです。
いわゆるジャーナリストたちは何も知らない、ということも知っていました。私たち国民の歴史を知っていました。 目標が個人の利益を越えたところにあるときは、個人がみなそれぞれの身を捧げる、という国民性を持った国において、集団的な努力が大いにされてきた歴史を。 1万年の歴史の中で、その集団的な努力が失敗したことは決してなかったことを。
もしこれらの人々が、慌てて判断に走る前に事実を学んでいたなら、「知らせる」という義務を果たしたことでしょう。
「2004年アテネオリンピック」は、いまや記憶に消しがたく残りました。この成功はギリシャ国民の誇りです。
いまこそ書くときだ! と私は思います。メディアが間違っていたことを証明したのを喜ぶのではなく、ただ彼らに言うために??「あなたがたは、今後、学ぶということがあるのですか?」 機会があればすかさず、だれか別の人??個人であれ団体であれ国家であれ??が、彼らにとっての"害虫"が攻撃の的になるであろうことが、私には分かっているからです。

有限会社ノスティミア
A. Fragkis